私は 10代で
重めの鬱になり
そこから本格的に生きづらさとの戦いが開始
そんな分かりやすいきっかけが訪れたのは
高校生の頃だったけれど。
幼稚園・小学校・中学校に通う中でも
ほんのり ほんのり 母親の私への依存(過保護や過干渉のようなもの) ・周りの親たちとの違い は感じていて
ある意味健全に(自立心を育て)、反抗期を迎えた
当時はその息苦しさを言語化する力も知恵もなくて
ただただ親から離れたい一心だった
きっと 嫌いになりたくなかったんだと思う
都合よく、タイミングよく、
高校進学後 心身のバランスを崩し
大好きだった学校に、徐々に通えなくなっった
(ー 今振り返ると 鬱になったきっかけは様々な要因からだったと思う 一年生の夏休み期間留学させてもらい帰国後日本に息苦しさを強く感じたこと、毎朝始発のような時間帯に満員電車に乗り長時間の通学で体力が限界だったこと、毎日のように痴漢被害にあっていたこと、昔からもしかしたら人より強かったかもしれない霊感的なものによって電車の中の人たちに映る色々なものが視え悲しくなってしまったこと、…ストレスの多い大人や性犯罪加害者を生んでしまう社会へ絶望したこと、…虚弱体質や繊細気質という自分の特性を理解しておらず無理がたたってしまったこと… ー)
痴漢被害に関して
当時親には話せなかった
けれど
ただ
長時間の満員電車が辛いから
学校の近くに部屋を借りたい
もしそうさせてくれたら
通学も頑張れる
….一人暮らしさせてくれ
一か八か交渉してみたことがきっかけで
17歳で実家を離れることが叶う
やっと
やっと一人の時間 空間を持てる
(物理的なものに加えて私は精神的な部分で一人になることを欲していた)
これで勉強にも部活にも集中出来る
痴漢に怯えることもなくなる
(出席日数の関係で)留年してまでも
好きだった学校へ通おうとした
やっと
頑張りたいように頑張れる
そう思ったのだけれど
これが
母親の不安症を加速させてしまった
結局 毎日のように様子を見に遠くから訪れ
私は余計に息苦しさと
彼女の心配(不安)のエネルギーに曝され
気がつくと酷く無気力になっていて
起き上がることも出来ず
今度はすぐ近くにあるはずなのに
学校の門をくぐれなくなっていた
自分で
自分の様子がおかしいことに気が付き
病院を検索した
思考力も判断力もなくなっていて
その頃の記憶も曖昧だけれど
病院に連れて行ってくれ
とだけ 部屋に来た母に頼んだことは朧気に覚えている
何日もシャワーも浴びられず部屋着のまま
ぼろぼろの足取りでバス停に向かったことも。
今思うと、
この頃父親はどうしていたのだろうか。
視覚障害があるから我が家では車の運転も全て母が担い、父自身電車に乗ることは出来るけれど決まった通勤路のみを使用し職場と家の往復しかしていなかった。
そして彼等は
決して「良い関係性を築いている」とはいえなかった
物心ついた時から
幾度となく喧嘩を目の当たりにし
いつからかは喧嘩もしなくなり
その代わりというのもなんだけれど
母の、父に対する愚痴を聞くことが私の役目になっていた
当時は 深く気にしていなかったけれど… 少しずつ少しずつ、きっと私の心を蝕んではいたんだろうな…
だけど、今そのことを彼女に対して恨む気持ちはない
し、彼女に対して同情の気持ちもある
私からすると
父は とても繊細な人だ
生まれつきのハンデで悔しい思いだってたくさんしてきただろう
それでもやっぱり
“ハンデのある末っ子”はとても大切に育てられてきただろうとも思う
「父親」というものとの触れ合いがほぼなく、
「父親」「男性」というものに理想があった母からしたら
上手く交れない部分も多くあっただろう
このことを思うと私はいつも切ない。
本当は誰も悪くない。
だから
だからこそ
私の心の葛藤は肥大していく。
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「ほんとうの気持ち・・・」